Cafe Evil 9

Cigarettes, ice cream, Figurines of the Virgin Mary ♪

ぷろぐれについて語る 〜Young Persons' Guide to Progressive Rock〜

2000年頃に書いた駄文をSSDの隅で発見しました!
アイン・ランドか2112かって感じです!
若干、修文してアップしました。お暇な方、どうぞ(長文注意です!)

■ 1st Impression

 あらゆる媒体には大抵序章がある。資料系刊行物のそれは約98%の確度で「はじめに」と題されている。Web上にも不特定多数のIndex.htmlが当該不特定多数のサイトをブラウズするにあたり最初に開くことを予定して配置されており、当該ファイルには「はじめに」に相当する記述がなされることが多い。そして、これら「はじめに」の本質は大抵の場合に大見得であって客観的に刊行物若しくはページそのものと内容が釣り合っているか甚だ疑問なことが多い。どちらかといえば、「はじめに」は、読者に対する編集者等の欲求がストレートに書かれた部分であることが多く、それを読んで興ざめして先に進めなくなることも極めて多いのである。つまり、「あっ、そうだったのね」という本質を先に自白してしまうことは、特に斜に構えた読者には足元を見透かされるのと同然なのである。このような思考の元に書かれた本サイトの「はじめに」なるページは常識的な思考によれば読むに値しない。したがって、どうしても最初から順番に読まないと気がすまないというパラシュート型思考系を持たないか若しくはこのサイト閲覧に当たってそれを放棄した方、上記前置を信じない方、時間を無駄に潰したい方だけ以下の駄文の数々をご覧ください。

■ 2nd Impression

 ではプログレッシヴ・ロック(Progressive Rock, Prog-Rock)について語る。

ロックスーパースターの軌跡
北中和正氏著・講談社現代新書
 ポピュラー・ミュージックの中にはじめてロックン・ロールが現れたのがいつなのかは分からない。1951年には、アメリカのDJが既に使っていたという記録はあるようだ。エルビス・プレスリーの登場は1950年代後半である。
 これらロックン・ロールの歴史については、講談社現代新書から出版されている北中正和氏著による「ロックスーパースターの軌跡」に200枚余りにわたって詳説されいる。この著書は、1950年代から1980年代中期に至るロック・ミュージックの歴史を概観する上で大変参考になるものだ。テンポよく、まるで年表を眺めているように歴史が一覧できるのである。
 同著書において、プログレッシヴ・ロックがどの程度書き込まれているか興味を惹くところであるが、実に、僅か10行、しかも、アーチストは、キング・クリムゾン、ELP、ピンク・フロイドが紹介されているに過ぎなかった。同著書の本文を200ページと擬制すると、1ページが15行だから、全体が3000行。これを基礎にロック・ミュージックにおけるプログレッシヴ・ロックの歴史的絶対量を算出すると僅か0.3%に過ぎないことが判ったのである。
 これは、紙面許容量等々のもたらした偶然であって、著者に作為はないのだろうけれども、プログレ信者は厳粛に受け止めざるを得ない数字である。偶然かどうかは別として、実にこの計算は客観的に思えるのだ。批判しているわけじゃない。世間の常識が導き出した摂理である。所詮プログレッシヴ・ロックなんて、その程度のものなのだ。ビートルズのように認知されているわけじゃない。
 ・・・ところが、そんな世間から爪弾きされたような、今やアングラな感覚の漂う変な音楽ではあるが、その魅力は、止め処もなく底無しである。構築美を追求するもの、インプロビゼーション中心のフリー・フォームを追求するもの、いずれもあらゆる音楽をまるでブラックホールのように貪欲に吸収し、その底の方から既製の型を持たない音楽が微妙に増殖し続けているのである。
 プログレッシヴ・ロックとは何か・・・。1970年代前半にイギリスを中心に起こったムーブメント。サイケデリックの流れを汲みクラシックやジャズの要素を感じさせるグループが多い。・・・とリットーミュージック刊の音楽用語辞典には記載されている。音楽そのものの底流は1960年代半ば辺りまで溯ることができそうであるが、言葉の起源としては正しい。古くはシンフォニック・ロックとジャズ・ロックを総称し、最近では前衛やデス、そしてテクノに接近したものなど様々なものが含まれるようだ。また、大作指向、コンセプトアルバム指向が強いことも一つの特徴である。

ピンクフロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり
この帯からはじまったのか・・・。
原子心母の奇妙なレタリングにも感慨無量"^_^"
 我が国では「progressive rock→プログレッシヴ・ロック→ぷろぐれ」という語形変化を生んだが、そもそも、国内で始めて「プログレッシヴ・ロック」という言葉が登場したのは、ピンクフロイドの原子心母の帯(1970年)であった(マーキー刊ブリティッシュロック集成参照)。「ピンクフロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり」である。当時、キングクリムゾンの宮殿はニューロック、ポセイドンは幻想ロック、バークレイ・ジェームズ・ハーヴェストはロック・ポエトリー、ジェネシスアンダーグラウンド・ロックであった。これらのアルバムの発売は原子心母の数ヶ月前である。
 アマゾン・ドット・コムYahoo!のカテゴリーにもprogressive rockというのがあるから、起源は訳語であろうが、「進歩的なロック」という意味合いの言葉が定着するには、それなりの理由があったのではないだろうか。考えてみるに、1970年は大阪で万国博覧会が開催された年である。その時のテーマが、確か記憶では「人類の進歩と調和」であった。「プログレス」は、この辺りから当時世間で受け入れられやすい状況にあったのではないかと考えられる。嘘か本当かは定かではない。いずれにしろ、以降「プログレッシヴ・ロック」という言葉は定着した。
 では、プログレッシヴ・ロックが文字どおり「進歩的な」音楽だけを指すのかといえばそうではない。ポピュラー・ミュージック自体が黎明期であった1960年代から1970年代に行われた新たな音楽の創作実験は、それ自体、自然且つ合理的に進歩的であると言えそうであるが、そういった試行錯誤を脱し幾種類かの様式が創出された以降の音楽実験は輪廻的な、見方によっては陳腐に形骸化したトートロジーとなってしまっている。こういった現象を背景に、ある特定の音楽ないし「プログレッシヴ・ロック」というカテゴリーそれ自体に対し、こういった試みは昔は進歩的であったが現在の目から見れば全く進歩的ではないので「もはやプログレッシヴ・ロック」ではないという主張を聞くことがある。これは一面的を得ているかのようにみられるものの、反面、日本語の用法を近視眼的に曲解した考え方に過ぎないものである。日本語は、もっと柔軟かつ曖昧な言語だ。当該言語における「プログレッシヴ・ロック」なる言葉は語源の意味から分離され形骸化した単なる「音」ないし「記号」として機能しているはずである。他方で「プログレッシヴ・ロック」と「ぷろぐれ」は違うのだと力説する人もいるようだが、これにも大差があるわけはない。単なる短縮形だ。日本語にはよくあることである。金科玉条を「きん○○」とかね・・・違うか。
 さて、ここでプログレの範疇について語る。大辞林第二版によれば、範疇とは同じ性質のものが属する部類、部門、領域、カテゴリー、哲学では実在や思惟の根本形式、概念のうちで最も一般的・基本的な概念を指すとのことである。哲学を演じている訳ではないので、ここでは「領域」について考えればそれでよい。プログレをどうカテゴライズするかである。「そんなことどうでもいいじゃん」という気がしなくもないのだが、プログレのカテゴライズについて気になる人たちは常に気にしているのである。レコード会社がバンドをカテゴライズするのは、まぁ、ドリームシアターをメタル売り場に置くかポップス売り場に置くかといった選択の関係で商業上必要な気がするが、一方、リスナーが「このバンドはプログレだけどこっちは違うんじゃないの」と言うことにどれだけの価値ないし生産性があるかというとそれは皆無というほかない。あるバンドの音について語り合うときにそれを特定する手段はバンド等の名称を用いればよいのであり、カテゴリーを用いる必要性はない。つまり、カテゴリーを持ち出す場合として考えられるのは、前述の商業的カテゴライズを述べる場合か又はカテゴライズそれ自体のための議論の場合かに限られるのではないかと思えるからである。前者の場合無害であるが、後者の場合には、議論は頻繁に一代論争に発展する。当該論争当事者が自らの主観を客観であると言い放ち合う結果、平行線を辿り、最後に疲れ果ててくると、何故か主観的発言であったことを認めたり、「大人げなかった」と曖昧に逃避し、落ち着くところ「自分のぷろぐれは自分でカテゴライズするのが正しいのだ」という非常に曖昧な結論を導き出して収束するのをしばしば目にしたものである。

THE MAHAVISHNU ORCHESRYRA-黙示録
アメリカンロック集成の表紙だったけど、これってロック?
 しかし、客観的に考えてみるといい。きっと、1970年代のイエスやELPやクリムゾンやジェネシスプログレッシヴ・ロックであるということを否定する人はいないだろう。しかし、一方、マハビシュヌ・オーケストラやリターン・トゥー・フォーエヴァーもプログレに入れていいんじゃないかと言う連中がいたり、エイジアや90125イエスはポップスでプログレじゃないなんて言う連中がいたりはするのだ。
 このように、境界は非常に微妙というか、かなり曖昧なのである。
 それから、これが一番面白いと思うのだけれども、所謂ぷろぐれ通な人々は、「レッド・ゼッペリン」ってぷろぐれだよね。「うん。」、「絶対そうだ。」、「特に、3rd以降はね。」なんて会話をしている。しかし、「レッド・ゼッペリン」を普通の人が「ぷろぐれ」だと思うだろうか。そのようなことはまずないのである。
 つまり、このように、ぷろぐれに執着するあまり日常的な常識を逸脱してしまったリスナーが多い、ということも「ぷろぐれ」の一つの特徴なのである。だから、彼らはいろいろな所に隔離される必要があるのだろう。インターネットに押されて廃れたけれどもNiftyServeのRockLine(更に古くはFrock)にかつて存在した「隔離室」は的を得たネーミングだったと思う。
 そうすると、プログレの範疇に関する真理の探求は実に無意味ということになる。人それぞれのImpressionを総括し絶対的真理を導くことなどできないからである。
 Impressionという言葉を実に唐突に用いた。大方のこのページをご覧になっている方には容易に想像がつくとおり、この「はじめに」の項立てに用いたImpressionは、ELPの超有名アルバムの超有名曲からのパクリである。  ぷろぐれには組曲仕立てになった作品が多いので、何かモノを書くとき、その章立てを考えるに当たり、お気に入りの曲の構成に合わせてみようかと色々と頭を巡らせたりする。しかし、各章ごとのサブタイトルが全体保持であったり保証された永遠のサンクチュアリーマンであったりすると中に何を書けば良いか見当がつかない。啓示、追憶、古代文明、儀式といった感じであればちょっと考えれば上手くいきそうだが、それでもちょっとは考えなきゃいけない。もっと手を抜ける方法はないか、と言えば、それがimpressionなのである。1、2、3と単に番号をふるよりはずっと思慮深く見えるに違いないからである。
 さて、ネタ元のアルバムであるが、知らなかった君はちゃんとメモを取り明日はちゃんとCD屋さんで買って来て聴かなきゃいけない。それくらいベーシックなアルバムなのだ。Brain Salad Surgery、邦題は「恐怖の頭脳改革」である。中央の円形の部分から女性の口元だけが見える髑髏のジャケット、H.R.ギーガーの作である。LPの頃は観音開き変形ジャケットであった。扉を開くと目を瞑ったメドゥーサが現れるのである。CDでも変形ジャケットで発売されたことがある。CDでは更にホログラフ・ジャケットというのもあった。写真を載せればいいじゃんって思うかもしれないけど、まぁ、これを頼りにお探しください。・・・すぐに見つかるから(^^ゞ

メドゥーサ
恐怖の頭脳改革の第2印象
 さて、ここまで読んだのにimpressionの解説が出てこないと言って、目の前のコンピューターに蹴り入れてボコボコにする気短な人がいると悪いので(コンピューターに)、そろそろ意味を書きましょう。impressionは、impressの名詞形です。「インプレスと言うと、ガッチャマンの親父さんが入っていた、ほれ、レッド・・・、レッド・・・」、「それはインパルスやろ、ちょっと苦しい。」、「あぁ、長椅子に寝転んで重たいもの持ち上げるやつ。」、「それはベンチプレス。」、「そしたら、コンピューター関係の雑誌なんかを出している会社。」、「それは、インプレス。・・・まんまやないか。」・・・・怒った?
 話が脱線してしまったので元に戻す。何がプログレか・・・、音楽をカテゴライズし、その境界に線を引こうとする場合、どこに引くかについては、人それぞれの独断による。この点については前述のとおりだ。例えば、アーチストがメジャーかマイナーかということは、通常、契約しているレーベル、発売するレコード会社の規模によるようである。ワーナー・ブラザースはメジャー、レーザーズ・エッジはマイナーという具合である。小さな会社にお前は零細だなどというと、時々激昂する石頭社長がいるが、そういう会社は誰が見ても微細だ。この手の業界で微妙な位置の会社ってものはそうないんじゃないかなぁと思う。デカイか小さいかである。なのでこの線引きは比較的容易である、と思う。
 しかし、一方、リスナーの独断はそのようなわけにはいかない。各人が各様に独断でカテゴライズのための線引きを行うのである。評論に迎合し流行物しか聴かないということなら当該評論によるカテゴライズに迎合すればよいが、そもそも、プログレは、流行物とは別世界であるから、各人各様に聴き手の耳は理論武装されているからである。縷々書いたにもかかわらず、結論は至ってシンプルである。E=mc2みたいな極めたシンプルさではなく、成り行き任せないい加減極まりないシンプルさではある。そして、この結論は、マニアックなカテゴリー論争信者には当てはまらないごくごく一般的なものである。シンフォニック・ロックやジャズ・ロックといった基本的なものは誰もが外さないであろうと思われるが、その周辺に位置するミクスチャー・ミュージックをどこまでプログレと呼ぶかについては、人それぞれ、思い込みによってカテゴライズしているのである。当然、このサイトにおいても、プログレッシヴ・ロックのカテゴライズを行っている。このサイトには誰がどう見てもハード・ロック、ヘヴィー・メタル、ジャズ、フュージョン、ポップスと考えるに違いないプログレの範疇にはおよそ入らない音楽も載せている。以前は印を付していたのだけれど、デザインの関係で外してしまった。そこは個人趣味サイトにつきご勘弁願いたい。・・・経験値を高めて、どれが違うかは見極めて下さい。・・・っと、あまりに不親切も何なので、ちょっとした助言を次項で述べてみることとする。

■ 3rd Impression

 続いて、数あるアーチストの数あるアルバムの中で、いったい何を選んでどうきくのが良いのかについて考察する。選択の基準は何がベストか。・・・この結論は、言うまでもなく「好きか嫌いか」である。
 Cafe Evil 9には何が偏執的に褒めちぎられて登場し、何がそっけなく資料的に並べられているのかについて少し書こう。まず、賞賛されるもの。それは、シンフォニック系、チェンバー系など所謂オーケストレーションの効いたロック、それから、やはりシンフォニック系のポップなロックが主になる。ジャズロック系は好き嫌いが完全に2分される。本来ジャズが好きなので、中途半端な演奏には耐えられないからなのだ。国別には、イギリス、アメリカ、北欧、イタリアには好みのものが多い。フランスは少々苦手であり、ドイツと日本には嫌いなものが多い。嫌いな音の代表格はカン、アモンデュール、ノベラである。うわっ、名前書くだけでも、背中に発疹が出そうだ。これが本サイトの独断である。
 更に付加すると、ポンプも嫌いなものの一つである。甘ったるい音を聴くと耳から膿が出そうになる。ポンプとは何か。液体や気体を低所から高所若しくは現在地から離れた場所へ送るための機械。動力を利用した複雑な構造のものから、空気の圧力を利用した手動式のものまで数多くの種類がある。かかるpumpに子供の頃から馴染んでしまっているので、ポンプ・ロックっていわれても全然ぴんと来ない。pumpがパンプだったことに気がづく可能性はそう低くないような気がするが、pompの存在に気づく可能性は希であるように思う。誰が言い出したのか知らないが、こんな言葉をそのまんまカタカナで使用するから日本語が面倒極まりなくなってしまうのだ。pompはポンプであって、ギリシャ語を語源とする英語である。語源の意味は厳粛な行列。転じて、華やかさ、華麗、虚飾、虚栄の意味で用いられている。ネオ・プログレで上等だったのにね。きっと、ポンプって言い出したやつの頭の中には、98%くらいの皮肉が詰っていたに違いない。どうしても、ポンプのシーンを知りたければ、マーキー社刊のブリティッシュロック集成に解説されているのでそれを読めばいかがかと思う。
 自分自身にとって優れたプログレッシヴ・ロック・ミュージックの選択は、プログレアルバムの購入方法とも密接な繋がりがある。では、どうやって入手すればよいか。CD屋に行けばいいじゃん。当たり前である。専門店に行けばさらにいいかもしれない。マニアの巣窟のようなところに行くのがおっかなければ、最近じゃ、アマゾンにもプログレ・コーナーは存在する。
 さて、CD屋さんでプログレのCDを買う場合に、前もってテレビで見たりラジオで聴いたものを買うということはまずない。テレビやラジオではほとんどプログレを体験する機会がないからである。尤も、ニュースのテーマやエンディング、そして一部CMには時々プログレ曲の一部が用いられていることがあるが、これに気付くのは、それなりにプログレを聴き込んできた方に限られ、これからプログレを聴こうかという方が気付く可能性は殆どない。したがって、マス・メディア(マスと言えるか否かは定かではないが)を当てにするとなると、ユーロロックプレスとかストレンジ・デイズ等の雑誌に掲載された広告や新譜情報に頼るのがせいぜいである。(※注:この駄文を書いた頃にはYoutubeなどはまだ存在しませんでした!)しかし一方、事前情報なしにジャケットと勘だけを頼りにレコード屋さんの棚を端から端まで虱潰しに見るという方法もある。所謂ジャケット買いである。そして、この方法はなかなか楽しいものである。LP時代にはヴィニール・ジャンキーと言われた人達が数多く存在した。最近ではディスク・ジャンキーとでも言えばよいのだろうか。

左から、ロジャー・ディーン、キーフ、ヒプノシス
 ジャケット買いが成立する理由は、ジャケットにプログレ固有の特徴があるからである。プログレのジャケットの特徴は、やはり何と言ってもロジャーディーンに代表される幻想的なイラスト、そしてキーフに代表される心象的な写真、ヒプノシスに代表される構築性である。特にイラスト物はシンフォニック系に多いのだが、時々、デスメタル系が混ざっていることがあるので要注意である。ここで、デスとプログレとを見分けるデスに大枚をはたかないで済む防衛術を2点述べる。1点目はメタルのコーナーからジャケ買いしないことである。当たり前か。そして2点目、そのポイントは通な奴の説ではロゴ・デザイン、つまりアーチスト名等のレタリングで明らかになるという。確かにメタル系はトゲトゲしている。ゴシック系のスクリプトは避けて丸みを帯びたレタリングのものを中心に探そう!

CATHEDRAL-fOREST OF EQUILIBRIUM
文字がない場合は感性で見極めるのだ!
 ジャケ買いしてますと公言できる頃には、あなたのプログレ経験地は徐々にアップして来ているに違いない。しかし、ジャケ買いは、「外す」という危険性を孕んでいることに注意が必要である。ジャケ買いに勤しんでいるある日、ついにとんでもないものを掴んでしまった。ルソーの絵を下手糞に書き直したようなカエルがモチーフのジャケットである。何と、アダルトな味わいのあるブラック系4声コーラスだったのだ。表ばかりに気を留めて裏側を見るのを忘れていたのだ。何と裏側には2分から3分の曲がずらっと並び、更に、タイトルが、何とかラブだとか、キスがどうしたとか・・・。情けなさの局地であった。これが、典型的な「外す」である。つい最近もプログレ・コーナーに誤って並べられたゴスペルをそうとは気付かずに購入してしまった。紙ジャケの装丁に目を奪われ曲名を見なかったのである。即ち、ジャケ買いには、細心の注意が肝要ということなのである。
 しかし一方、ジャケ買いによらず、どんなに雑誌のレビューや極論、CDそのものに添付された日本盤の帯に心を奪われるような「誉め言葉」が並べられていても、ものの見事に外すということはあるものなのである。「○○のイエス。超絶技巧!」なんてダサいコピーはないけれども、最近特に「超絶技巧」が怪しいのである。どこが超絶技巧やねん・・・と言って円盤投げしたくなる叙情派サウンドに出くわしたり、録音状態最悪楽曲稚拙演奏糞下手なバンドをべた誉めしていることもあるからだ。きっと、レコード会社の利権が絡んでいるに違いない。注意しよう。これは、引っかけられて「外す」である。
 以上、縷々述べたように、良いプログレッシヴ・ロック、自分自身の感性に限りなく一致するプログレッシヴ・ロックを発掘すること、そしてそのリスナーを究める道は非常に険しい。音楽自体はとりわけ高尚なものでも何でもなく、どちらかといえば、ちょっと考えすぎの偏屈者の音楽と言った方が適切かもしれない。しかし、その内容はバラエティに富んでいるから、中にはアホさを極めたものや、とてつもなくヘンチクリンなものまである。ただのポップスに過ぎないじゃないか、としか聴こえないのに、CDやさんではデ~ンとプログレでございますと並んでいるものもある。いずれにしても、見極めるのはあなた自身である。周囲からあれこれ薦められるのは好意的には見えるかもしれないがセクト拡大のための洗脳攻撃であるかもしれない。こういう斜に構えたものの見方をすると、このサイト自体、シンフォ・チェンバー・メタル推奨派の特殊セクトに過ぎないから、その洗脳攻撃の一つのツールに過ぎないのかもしれない。目に見えるものに騙されてはいけないということである。的は音楽だからである。ライブパフォーマンスだけが好きっていう人もいないわけじゃないけどね。

Bruce Lee
 あと一言だけ付言する。先に述べたとおり、ぷろぐれを近視眼的に志向するあまり他の音楽を聴けなくなってしまう人達が少なくない。プログレは所詮ミクスチャー・ミュージックである。その基礎となるポップスやブルース、クラシック、ジャズ、テクノやハードロック、メタル等の分野に少しでも触れておくことは重要だと思う。また王道を聴かずして辺境の音楽に突っ走るということもお勧めしたくない。個人の趣味だから「いいじゃん」っていう人達にまで押し付けがましいことを言うつもりは全くない。
 この項の結論は、「目に見えるものを信じてはいけない」である。ツラツラと書きなぐったので若干の矛盾はあるかな。まぁいいじゃん。気楽にいきましょう。所詮音楽である。聴かなくたって死んじゃう訳じゃない。「目に見えるものを信じてはいけない」という言葉は、かのブルース・リーヨーダも仰っていたように、摂理である。

 ・・・と、たらたらたらと駄文をお読み戴き真に有難う御座いました。沢山の無駄な時間が費やせたことと思います。・・・この勢いで書き続けるとまだまだ行けそうですね。・・・それでは、この悪ふざけにめげず本編のほうにどうぞ・・・。